2011年12月31日

今年最後のお仕事

今年もあとわずかになりました。
皆さんにとってはどんな年だったでしょうか?
私にとっては・・いろいろありましたが、なんといっても一番大きかったのは豊田の大根役者から名古屋の歌手のはしくれに出世したことかな。
芸能人を夢見て東京へ行き、高校の音楽講師にまではなれたけど、ついにプロデビューはできないまま失意のうちに豊田へ戻ってきた私が、この歳になってまさかデビューすることになるとは。

ゴルフはやらない私がRCでセントクリークゴルフクラブの支配人と知り合い、その支配人が趣味で通っていたカラオケ教室の先生に「ぜひ紹介したい素晴らしい美声の人がいる」と引き合わせてくださったのが『平尾昌晃ミュージックスクール名古屋校』の副校長先生でした。(校長は各校とも平尾昌晃氏なので、名古屋校の実質的な校長先生です)
「家賃を払ってください」と当たり前のことを言っているだけなのに逆恨みされたり、妬みやっかみからのイジメも相変わらずですが、それに負けて妥協し自ら不正を受け入れ下劣な人間になっていたら、こんなすごい人との出会いもなかったでしょう。
『類は友を呼ぶ』という諺が真実だったと確信した出来事でした。


さて、一夜飾りはいけないそうなので、昨日のうちにトゥクトゥクとPTクルーザーに正月飾りを付けました。






最近は正月飾りをつけて走る車も少なくなりました。
こんなところにも目に見えない縁や運を信じず、目先の損得や打算でしか判断しない今の世相が現れているかもしれません。
正月飾りをつけたPTクルーザーの今年最後の仕事は灯油の買い出しでした。
後部座席を外すと足の部分がちょうど灯油のポリタンクをすっぽり入れて固定できる絶好のスペースになるので、毎年灯油の買い出しはPTクルーザーの役目なのです。



助手席にも一つ置いて、一度に合計60リットル運べます。



ダンボールを運んだり灯油を運んだり結構酷使してきたのに、さすが大陸を走るアメリカ車、足腰だけは強い。
トゥクトゥクのように故障することもなく今年もよく働いてくれました。
お疲れ様でした。


それでは皆さん、よいお年をお迎えください。(^0^)/  

Posted by しょうのみ at 15:14仕事

2011年12月29日

「ヤンゴンで爆発!?」訂正

ヤンゴンの爆発事件は化学工場で起きたもので、原因は爆弾テロではなく化学薬品の引火による爆発だそうです。

訂正してお詫びします。


【中央郵便局】


  

Posted by しょうのみ at 21:48日記

2011年12月29日

ヤンゴンで爆発!?

ヤンゴン東部にある倉庫で29日未明、大規模な爆発があったらしい。
政府は少数民族の反政府勢力の犯行と主張しているそうだが、せっかく日本の外務大臣がミャンマーを訪問したり、企業進出も盛んになってきているさ中でこのような事件が起き、まだまだ危険な国というイメージが広がるのは残念なことだ。

イギリスの植民地政策で少数民族に多数派のビルマ族を管理させたり、そこへ旧日本軍がやってきてイギリスと戦うためにビルマ族の味方をしたりという外国の余計なチョッカイが民族対立をややこしくさせ、解決を難しくさせている。
今回の事件で軍政へ逆戻りすることはないと思うが、規制や監視が厳しくはなるかもしれない。


ヤンゴンのドコモショップ








  

Posted by しょうのみ at 12:36日記

2011年12月28日

まだガラ携?

私の携帯電話の電池がもう寿命で充電できなくなってしまったので、新しい電池をもらいにドコモショップへ行ってきた。



今使っている私の携帯はドコモがうちの敷地内にFOMAのアンテナを立てたため、それまでのmovaの携帯から買い替えたもので、もう5年になる。



うちの敷地内に立っているFOMAのアンテナ



「携帯電話は携帯できるから携帯なのであって、携帯するのが苦になるような大きな電話は携帯電話じゃない」との持論に固執し、未だに頑固にガラパゴス携帯を使い続けている。
ミマを探しにタイのメーサイへ行ったとき、もう一台海外で通話ができる二つ折りタイプの携帯を買ったが、日本ではツーリングの時にブルートゥースヘッドセットを使うためこの携帯を使う程度で、普段は机の奥にしまってある。もっとも、その携帯もガラパゴス携帯であることに変わりはないが。

しかし、新しい電池をもらう手続きをしている間店内の携帯を見て回っても、もうほとんどスマホばっかりだ。
そんなにいいものなのだろうか?
今すぐ調べなければならない情報が毎日そんなにあるんだろうか?
たまに一生懸命スマホをいじっている人がいると何してるんだろう?とそっと覗いてみるが、ゲームだったりする。

音声通話とメールとブログが書ければ、携帯の機能としては私には十分なんだが。

ただ、私の携帯の修理受付が来年の7月までになってしまったのは困ったことだ。  

Posted by しょうのみ at 16:46日記

2011年12月25日

可愛い子には旅をさせろ

また今年も何にもないクリスマスイブ。
「別にクリスチャンじゃないから関係ないや」と強がりを言いながら、いつものパンチーズハウスで一人で飲んでいると、先日一緒にキノコ鍋を食べに設楽までツーリングをしたハーレーライダーの社長さんがべろんべろんに酔っ払って店へ入ってきた。
「息子が突然家を出て行っちゃったんだよ~」と私に抱きついて泣く。
別に喧嘩をしたわけでもなく、今まで真面目に自分の会社で働いていた19歳の息子さんが突然無断欠勤をした翌日、「家を出る」と言ってそのまま出ていったそうだ。

思い出せば私が家を出たのも19歳だった。
そして岡山の総社市で1年半、その後東京へ出て、途中冠婚葬祭などで一時的な帰郷は何度かあったものの正式に東京を引き払って豊田へ戻ってきたのは30歳になる年だった。
私が不在の間、「俺が全部面倒を見てやるから心配するな」と外メシを食ったことのないお坊ちゃま育ちの父の甘さにつけ込み、言葉巧みに「財産を譲る」という遺言書を書かせた元社員に、何年もかけて多額の借金を抱えさせ弁護士を雇い裁判で負かして二度と復活できないように一家離散に追い込んだ。
もうひとつ、こちらは親族間の骨肉の争いだから詳しくは書けないが、叔母(父の妹)が激しく主張していた相続問題も絶妙のタイミングと巧妙な心理作戦で、わずかな金銭で相続権を放棄させることに成功し、そのまま縁を切った。
どちらも家を出て世間の厳しさを学んでこなかったらできなかった荒業だった。
今は不景気で会社の業績も落ち込み、「ダメ社長」「能なし社長」となじられ毎日針のむしろだが、業績の落ち込みどころではすまされない、世間知らずの父の甘さが招いた会社の存亡にかかわる危機を二度までも未然に防いだ。

大都会での一人暮らしの寂しさから夜の女に騙され金を取られ、会社中の笑い物になり一人泣きながら西武新宿線の線路の上を歩いた。残念ながら終電が行った後だったため電車に轢かれて死ぬことはできなかったが。
そんな経験も何度もあった、あの10年がなかったら今の私はない。

「いいことじゃないか。『可愛い子には旅をさせろ』だ。親元でぬくぬく暮らしていたら、それこそろくなもんにはなりゃしない。『石の上にも三年』と言うから3年以内に戻って来るようだったら、それこそ息子の根性のなさを親として心配せにゃいかん。一皮むけて立派な後継ぎとなって戻ってくるまで、『お前なんかいなくたって全然平気だよ』って顔してパンチーズハウスの仲間たちと飲んでツーリングを楽しんでりゃいいのさ」と社長の背中を叩いてやったら、いつの間にか寝込んでしまっていた。


【ミャンマーの床屋さん】


  

Posted by しょうのみ at 16:11日記