2011年01月31日

尋ね人17

(msnトピックスより引用)

【驚愕! 中国、2900元で買った嫁を4000元で転売】
中国江西省で、2900元(約3万6000円)で「嫁」として買った女性を「結婚生活が嫌になった」という理由でブローカーを通じて4000元(約5万円)で転売するという耳を疑うような事件が起きた。

男女の人口比率が世界一偏っていると言われている中国、特に農村部での男性人口過多は顕著だ。労働力確保のために男女の産み分けをしてきた結果、農村部では深刻な「嫁不足」に直面している。女性を誘拐し農家に嫁として売る、そんな闇ブローカーが多数存在している。

事件の発端は2010年1月11日。江西省の49歳の男性が独り身の寂しさからある闇ブローカー(別件で立件済)から女性を「嫁」として2900元(約3万6000円)で購入した。結婚して数カ月、女性は精神疾患があったことがわかった。度重なる虚言や脱走と、女性との結婚生活が嫌になり、男性は「返品」を決意。だが、ブローカーに何度も返金を要求したが聞き入れられなかった。

「返金もままならないばかりか、このままでは女性が逃げ出し、『カネ』も『モノ』も失ってしまう」と思った男性は、別のブローカーを探し、女性を転売して損失を未然に防ごうと画策。

同年6月18日、男性とブローカー2名は女性を4000元(約5万円)で農家に転売、売上げのうち、男性は2700元(約3万4000円)、ブローカーはそれぞれ540元(約6700円)、760元(約9500円)を手にした。

その後事件は男性の自主により発覚、男性と転売に関与したブローカー2名が逮捕された。なおブローカー2名は他の人身売買にも関与したとして再逮捕されている。

裁判の結果、誘拐婦女売買罪及び共謀罪で男性に3年、ブローカーはそれぞれ6年、5年の懲役刑となり、事件の幕は下ろされた。

中国における女性の人身売買は、以前は中国人を誘拐して売るという手口が主流だったが、最近では脱北者をはじめとする近隣諸国からの難民、東南アジアからの出稼ぎ労働者等外国人を狙った事件も多い。難民や出稼ぎ労働者は音信不通になっても本国の家族が気づかれず、発覚しないケースがほとんど。犯罪組織にとってもリスクが少ないということだ。また、誘拐実行犯には男性でなく女性を使い、被害者を油断させる等手口も巧妙化している。

(引用はここまで)

5万円なら出してもいいかな・・。ブローカーさん、連絡ください。
ミマ、弟妹たちはみんな元気だよ!



  

Posted by しょうのみ at 18:51日記

2011年01月30日

ニッポン勝ち〜!!( ̄▽ ̄) 3

おめでとお〜!!




おやすみ〜 (*u_u)・・・ZZZ  

Posted by しょうのみ at 02:33呑みネタ

2011年01月30日

ゴ~ル!! 3

入ったあああ!!!






  

Posted by しょうのみ at 02:20呑みネタ

2011年01月30日

またもや延長戦

お願い・・寝かせて・・・



  

Posted by しょうのみ at 02:00呑みネタ

2011年01月29日

アジア市民フォーラム

昨日の法事では母と妹、そしてお手伝いに来てくださった妹の友人の方が、お茶や茶菓子などを出す裏方仕事に奮闘していた。
母と妹の法事の準備への情熱はただならぬものがあった。1か月前から庭師を呼んで庭をきれいに剪定したり、ハウスクリーニング業者を呼んで家の中もピカピカにしたり・・。
女性はどうしてこういうイベントになると、ああ燃えるのだろう?

【冷蔵庫に貼られた法事当日のスケジュール表】



昔、同じように多くの女性たちが準備に燃える姿を見たことがある。
埼玉県大宮市のストリップ劇場で性搾取されているフィリピン人女性の現実を知り、何かできないかといろんな海外援助している団体(NGO)に首を突っ込み、どこも資金不足で思うように活動できないでいるので経済支援するために豊田へ戻り家業を継いだ。
当時はまだNPO法人などという制度はなく、名古屋でも「フィリピンの民衆と連帯する会」だの「アパルトヘイトに反対する市民の会」だの、数人規模の小さなグループが自分たちを勝手にNGOと称していた。
そうした小さなグループが集まって、自分たちの活動を広く世間に知らしめ、賛同者を増やし、それぞれの活動を広めていくためのイベントを企画した。
それが1993年5月3~5日に瀬戸市定光寺の労働者研修センターで開催された『アジア市民フォーラム'93』である。
フォーラムの話は長くなるので・・って言うか忘れた部分が多いので割愛するが、参加者に何を訴え、どういう結果を求め、その結果を今後にどう生かしていくのかというイベント本来の目的よりも、いつの間にか女性メンバーを中心に、この2泊3日のイベントを滞りなく見事にカッコよく成功させることに重点が置かれていった。
そして・・・フォーラムの本番は多少の失敗はあったが、ほぼ計画通りに事が運び、3日目のフィナーレではみんな泣きながら成功を祝っていた。
ただ私は何の成果も生まれないことへの虚しさと疲労感だけで、とても泣く気にはなれず、同じようにこき使われただけで得るものがない虚しさを感じていたある若者と二人で片付け仕事をした後、一緒に食事をして別れた。それでおしまい・・・

今、「アジア市民フォーラム」と打ち込んで検索しても何もヒットしない。
わずかに開発教育協会の機関誌26号で、当時フォーラム準備事務局を担当していた女性がそのイベントのことを書いているのと、瀬戸地下軍需工場跡を保存する会の「会のあゆみ」の中で15人のフォーラム参加者が瀬戸市内の地下軍需工場跡を見学したとあるぐらいだ。
県から多額の助成金を受け、1年以上前から何度も集まって準備し、海外からも何人ものゲストを招き、延べ何百人の人間がかかわったNGOの一大イベントは跡形もなく消えた。

法事は家と家との付き合いの場であり親類縁者が集う交流の場だから、見栄や形にこだわる女性たちの努力にも感謝こそすれ否定はしない。
しかし、貧困や差別に苦しむ貧しい国の人々を支援するためのNGOが、国内の自分たちのイベントの成功ばかりにこだわるのはいかがなものだろう?
当の貧困や差別に苦しむ人々にとって何の恩恵があったのだろう??


皮肉にも、そんな私が中日新聞から取材を受け、アジア市民フォーラムの中心メンバーとして紹介されて一躍有名人になってしまった・・・


  

Posted by しょうのみ at 18:29日記