2008年12月18日
奇跡の旅 5
某ブロガーがこのシリーズのタイトルをパクってふたつも続けてネタをUPしているので負けてられません。
ヤンゴン空港から国内便でマンダレー空港へ向かう。
CAのお姉さんがとても美しく、離着陸のときは乗客と向かい合わせで座るから、まじまじとその美しい顔を眺め、「何か御用ですか?」という感じで私を見返すと目をそらすというのを繰り返していた。
写真を撮らせてもらうことも名前を聞く勇気もない、いざとなると本当に気の小さいワタシ。(; ´д`)ゞ
旅客機と空港ターミナルの送迎用として第二の人生(バス生?) をミャンマーでおくっている名古屋の市バス

車内の案内表示もそのまま

マンダレー空港からタクシーでサガインへ向かう。
サガインで唯一のホテル「ハッピーホテル」へチェックインし、ワッチェ病院へ行きたいとフロントに言うと、バイクの後ろに客車がついている“サムロー” という乗り合いタクシーを呼んでくれた。
【サムロー】

その客車に乗って病院へ向かう途中でお坊さんが二人乗り込んできた。
「日本のトーチョー(東京) には立派なお寺がたくさんあるよね(お寺がたくさんあるのは京都だろ)。
一度ぜひ行ってみたいと思っているんだ。あんた、私を日本へ呼んでくれないか?」
「ははは・・・そのうちネ」
そんないい加減な約束を交わしてお坊さんたちは降りていった。
そして今度は学校帰りの子供たちが乗り込んできた。子供たちはまだ英語を勉強していないので私とは会話はできなかったが、珍しそうにチラチラと私を見ては目が合うと恥ずかしそうに視線をそらせていた。
その子供たちも途中で降り、ようやくジャパンハートの活動拠点、ワッチェ病院に到着した。
ミャンマー人のスタッフに案内され、オペが終わったばかりで手術着姿の吉岡医師と会えた。
吉岡医師とは11月14日の名古屋国際センターの講演会のときにお会いし、12月9日に病院を訪問する事を直接伝えてあった。
「一日早く来てしまいましたが、例の橋の下に捨てられていたというエイズの姉妹に会いにきました」
「ああ、あの姉妹はここにはいないんですよ」
え゛~!!
・・・つづく
★アンラッキー: 吉岡医師が治療しているものだとばかり早合点し、
サガインまで無駄足を踏んでしまった。
ヤンゴン空港から国内便でマンダレー空港へ向かう。
CAのお姉さんがとても美しく、離着陸のときは乗客と向かい合わせで座るから、まじまじとその美しい顔を眺め、「何か御用ですか?」という感じで私を見返すと目をそらすというのを繰り返していた。
写真を撮らせてもらうことも名前を聞く勇気もない、いざとなると本当に気の小さいワタシ。(; ´д`)ゞ
旅客機と空港ターミナルの送迎用として第二の人生(バス生?) をミャンマーでおくっている名古屋の市バス

車内の案内表示もそのまま

マンダレー空港からタクシーでサガインへ向かう。
サガインで唯一のホテル「ハッピーホテル」へチェックインし、ワッチェ病院へ行きたいとフロントに言うと、バイクの後ろに客車がついている“サムロー” という乗り合いタクシーを呼んでくれた。
【サムロー】

その客車に乗って病院へ向かう途中でお坊さんが二人乗り込んできた。
「日本のトーチョー(東京) には立派なお寺がたくさんあるよね(お寺がたくさんあるのは京都だろ)。
一度ぜひ行ってみたいと思っているんだ。あんた、私を日本へ呼んでくれないか?」
「ははは・・・そのうちネ」
そんないい加減な約束を交わしてお坊さんたちは降りていった。
そして今度は学校帰りの子供たちが乗り込んできた。子供たちはまだ英語を勉強していないので私とは会話はできなかったが、珍しそうにチラチラと私を見ては目が合うと恥ずかしそうに視線をそらせていた。
その子供たちも途中で降り、ようやくジャパンハートの活動拠点、ワッチェ病院に到着した。
ミャンマー人のスタッフに案内され、オペが終わったばかりで手術着姿の吉岡医師と会えた。
吉岡医師とは11月14日の名古屋国際センターの講演会のときにお会いし、12月9日に病院を訪問する事を直接伝えてあった。
「一日早く来てしまいましたが、例の橋の下に捨てられていたというエイズの姉妹に会いにきました」
「ああ、あの姉妹はここにはいないんですよ」
え゛~!!
・・・つづく
★アンラッキー: 吉岡医師が治療しているものだとばかり早合点し、
サガインまで無駄足を踏んでしまった。
2008年12月17日
奇跡の旅 4
昨日の「奇跡の旅 3」で軍や警察の圧制で自由が制限されていると書き、なんだか街のあちこちに兵士が立っていて常に市民を監視しているような国かと思えば、写真を見るととても美しい朝の風景で人々ものんびり豊かに暮らしているように見え、違和感を覚えた方もおられる事と思います。
実際、街の中でも兵士や警察官の姿はあまり見かけません。
では何が不自由なのか?誰が監視しているというのか?
それは市民自身なのです。
たとえば、誰かが軍事政権に対して批判的なことを口にしたりすると、それを小耳に挟んだ誰かが警察に密告するのです。
なぜ密告したりするのか?
密告する事で私は軍事政権側の人間ですよ、あなた方の見方ですよ、役に立つ人間ですよ、だから可愛がってくださいネ!・・というわけです。
そうやって権力側に取り入って、利権を得たり許認可を受けやすく取り計らってもらったりするわけです。
ですから人々が一見和やかにおしゃべりしているように見えて、腹の中ではお互いに警戒しあっており、政治の話などはほとんどしません。するとすれば他人の目や耳を気にしないで話せる家の中か走行中の車の中ぐらいでしょう。

中立的な立場を守るために軍事政権側の立場にも少し私見を述べておきます。
ミャンマーという国は小さいものまで含めると実に135もの民族からなる多民族国家なのです。
現在の軍事政権は日本人にわかりやすくたとえるならば徳川幕府のようなものかもしれません。
上杉、毛利、島津など各地の大名が勢力争いをしている戦国時代を終わらせ、社会を安定させるためには力ずくで押さえ込む事もやむを得なかったのでしょう。
参勤交代など大きな負担を強いて経済力を弱めさせ謀反を起こさせる力を奪い続けたように、国民の経済活動を規制して貧しい状態においておく。それが多民族社会のミャンマーを安定させる唯一の道だと考えているのではないでしょうか。
もしアウンサン・スー・チーさんが政権の座につき民主主義政治を始めたら、自由、平等を楯に各民族が自分たちの権利を主張し始め、また戦国時代に突入してしまうのではないでしょうか。
フセイン政権が倒れた後のイラクのように。

さて、本題の旅の話に戻ります。
翌日、私の体はまだ日本時間のままだったので5時ぐらい(日本時間=7時半) に目が覚めてしまい、夜が白々と明けてきたぐらいからホテルの外へ出て、朝食が始まる7時まですがすがしい朝の風景を撮ってすごした。
8時半ごろジョニーとジミーが私を空港へ送るために迎えに来た。
彼らにしてみればヤンゴン市内をタクシーであてもなく流しながら客を拾うより、私のような一人旅の外国人を捕まえて、喧嘩別れになるような無理なぼったくりはせずに妥当な値段で客の要望をかなえてやり、専属ガイドのようにくっついていた方が効率がよいと考えているのだろう。
昨日、私が建てた学校の写真を見せながら、5月にミャンマーを襲ったサイクロンの被災地は現在外国人の立ち入りが禁止されており、この地域に私の学校があるため学校の被害の様子や先生や生徒たちの様子もわからず心配だ。私はこの学校を建てたオーナーなんだからどうして自分の学校を見に行ってはいけないのか?何とか行ける方法はないのか?と以前からいろんな人に聞いていたが皆一様に軍事政権が許可しない、無理だ、不可能だと言うばかりだ・・というような話をしていた。
ホテルから空港へ向かう車の中でまたその話になり、ジミーが「俺が頼んでやろう」と車を停め公衆電話でしばらく話していたが、暗い顔で戻ってきて「やっぱりダメだそうだ」と言う。
当たり前だよな。正規の旅行社を通して頼んでも無理なものが空港にたむろして外国人を狙っているゴロツキガイドなんかの頼みを当局が聞くわけがない。(苦笑)
・・・つづく
実際、街の中でも兵士や警察官の姿はあまり見かけません。
では何が不自由なのか?誰が監視しているというのか?
それは市民自身なのです。
たとえば、誰かが軍事政権に対して批判的なことを口にしたりすると、それを小耳に挟んだ誰かが警察に密告するのです。
なぜ密告したりするのか?
密告する事で私は軍事政権側の人間ですよ、あなた方の見方ですよ、役に立つ人間ですよ、だから可愛がってくださいネ!・・というわけです。
そうやって権力側に取り入って、利権を得たり許認可を受けやすく取り計らってもらったりするわけです。
ですから人々が一見和やかにおしゃべりしているように見えて、腹の中ではお互いに警戒しあっており、政治の話などはほとんどしません。するとすれば他人の目や耳を気にしないで話せる家の中か走行中の車の中ぐらいでしょう。

中立的な立場を守るために軍事政権側の立場にも少し私見を述べておきます。
ミャンマーという国は小さいものまで含めると実に135もの民族からなる多民族国家なのです。
現在の軍事政権は日本人にわかりやすくたとえるならば徳川幕府のようなものかもしれません。
上杉、毛利、島津など各地の大名が勢力争いをしている戦国時代を終わらせ、社会を安定させるためには力ずくで押さえ込む事もやむを得なかったのでしょう。
参勤交代など大きな負担を強いて経済力を弱めさせ謀反を起こさせる力を奪い続けたように、国民の経済活動を規制して貧しい状態においておく。それが多民族社会のミャンマーを安定させる唯一の道だと考えているのではないでしょうか。
もしアウンサン・スー・チーさんが政権の座につき民主主義政治を始めたら、自由、平等を楯に各民族が自分たちの権利を主張し始め、また戦国時代に突入してしまうのではないでしょうか。
フセイン政権が倒れた後のイラクのように。

さて、本題の旅の話に戻ります。
翌日、私の体はまだ日本時間のままだったので5時ぐらい(日本時間=7時半) に目が覚めてしまい、夜が白々と明けてきたぐらいからホテルの外へ出て、朝食が始まる7時まですがすがしい朝の風景を撮ってすごした。
8時半ごろジョニーとジミーが私を空港へ送るために迎えに来た。
彼らにしてみればヤンゴン市内をタクシーであてもなく流しながら客を拾うより、私のような一人旅の外国人を捕まえて、喧嘩別れになるような無理なぼったくりはせずに妥当な値段で客の要望をかなえてやり、専属ガイドのようにくっついていた方が効率がよいと考えているのだろう。
昨日、私が建てた学校の写真を見せながら、5月にミャンマーを襲ったサイクロンの被災地は現在外国人の立ち入りが禁止されており、この地域に私の学校があるため学校の被害の様子や先生や生徒たちの様子もわからず心配だ。私はこの学校を建てたオーナーなんだからどうして自分の学校を見に行ってはいけないのか?何とか行ける方法はないのか?と以前からいろんな人に聞いていたが皆一様に軍事政権が許可しない、無理だ、不可能だと言うばかりだ・・というような話をしていた。
ホテルから空港へ向かう車の中でまたその話になり、ジミーが「俺が頼んでやろう」と車を停め公衆電話でしばらく話していたが、暗い顔で戻ってきて「やっぱりダメだそうだ」と言う。
当たり前だよな。正規の旅行社を通して頼んでも無理なものが空港にたむろして外国人を狙っているゴロツキガイドなんかの頼みを当局が聞くわけがない。(苦笑)
・・・つづく
2008年12月17日
今日の困ったちゃん 4
やってまいりました第3水曜日、『埋めるゴミ』の日です。
困ったちゃん一人目 石油ストーブ

困ったちゃん二人目 電子レンジ

どっちも金属ゴミだっちゅうねん!

でも今はそんな事にこだわっている場合じゃない。
皆さんの関心事は軍事独裁国家ミャンマーに一人乗り込んで行った中年男の顛末記。
今夜には第4弾を掲載する予定です。お楽しみに (^-^)ノ
困ったちゃん一人目 石油ストーブ

困ったちゃん二人目 電子レンジ

どっちも金属ゴミだっちゅうねん!

でも今はそんな事にこだわっている場合じゃない。
皆さんの関心事は軍事独裁国家ミャンマーに一人乗り込んで行った中年男の顛末記。
今夜には第4弾を掲載する予定です。お楽しみに (^-^)ノ
2008年12月16日
奇跡の旅 3
ご存知のとおりミャンマーは現在国軍が政権を掌握しており、昨年の9月27日、カメラマンの長井健司さんが兵士に射殺されたニュースはまだ記憶に新しい。
しかし、わざわざそんな反政府デモなどの物騒なところへ出かけていかなければ、基本的にミャンマーの人たちはとても礼儀正しく親切で、軍や警察の圧制で自由が制限されている分、皮肉な事に犯罪の発生率は日本よりもはるかに低いのである。
そしてミャンマーはかつてイギリスの植民地だったために英語が通じるので、ずっと独立を保っていたためタイ語しか通じない隣のタイよりも旅行しやすい国なのである。
【ヤンゴンの朝】

それでもガイドしてもらう予定だった旅行社をキャンセルして、ひとりで1週間の滞在中どうしようか?
ヤンゴン空港に降り立ったとき、ガラスの向こうで乗客を出迎えに来ている関係者たちの人だかりの中に、いるはずのない知り合いの顔を探している自分がいた。

スーツケースを受け取り空港の外に出ると、お約束の怪しげなタクシードライバーが声をかけてくる。
ぼったくられそうだな~と思いながらも他にどうしようもない。「パンダホテルまでいくらだ?」「7ドルだ」「OK」と誘われるままに、すでに日本では生産が終わっているボロボロのトヨタカリーナに乗り込んだ。
運転席のジョニーと助手席のジミーという、なんだかアメリカ人みたいな名前のインド系ミャンマー人の二人が流暢な英語でいろいろ話しかけてくる。
「日本のどこから来たんだ?東京か?」
「豊田市だ。トヨタ自動車は豊田市という町にあるんだ。でも俺はトヨタの社員じゃない。豊田市に住んでいるだけだ。俺のファミリーはトヨタ自動車より古くからその町に住んでいるんだ」
海外へ行けば必ず聞かれる質問。トヨタ自動車は世界中誰でも知っているが、豊田市は誰も知らない。だから自己紹介するときは一気にここまで言うことにしている。
「明日はどこに行くんだ?」
「サガインに行く。小さいときにタイに売られ、成長してから売春させられ、エイズになって国境の橋の下に捨てられていたという姉妹に会いに行くんだ」
よくある話なのだろう。その話には特に顔色も変えず、
「じゃあ、サガインに行く国内便のチケットが必要だ。俺がいい店を知っているから今から買いに行こう」
今さらもうまな板の上の鯉である。『地球の歩き方』ぐらいは持っているから、サガイン(マンダレー空港) までの飛行機代がいくらなのかはわかるし、高く吹っかけてきたら買わないだけだ。なるようになるさと彼らに身を任せた。
彼らに連れて行かれた旅行社でチケットを手配してもらっている間、退屈だったのでオフィースのPCでインターネットを使わせてもらい、プロジェクト遊の「ボランティア殺害」のページの私が建てた学校の写真を見せびらかし、
「どうだ偉いだろう。ミャンマーの貧しい子供たちのためにこんなに貢献している俺からぼったくったら天罰が下るぞ!」と釘をさしてやった。
結局チケット代は100ドルだったが、『ヤンゴン航空』なら妥当な価格だろうと支払い、パンダホテルへと向かった。
・・・つづく
しかし、わざわざそんな反政府デモなどの物騒なところへ出かけていかなければ、基本的にミャンマーの人たちはとても礼儀正しく親切で、軍や警察の圧制で自由が制限されている分、皮肉な事に犯罪の発生率は日本よりもはるかに低いのである。
そしてミャンマーはかつてイギリスの植民地だったために英語が通じるので、ずっと独立を保っていたためタイ語しか通じない隣のタイよりも旅行しやすい国なのである。
【ヤンゴンの朝】

それでもガイドしてもらう予定だった旅行社をキャンセルして、ひとりで1週間の滞在中どうしようか?
ヤンゴン空港に降り立ったとき、ガラスの向こうで乗客を出迎えに来ている関係者たちの人だかりの中に、いるはずのない知り合いの顔を探している自分がいた。

スーツケースを受け取り空港の外に出ると、お約束の怪しげなタクシードライバーが声をかけてくる。
ぼったくられそうだな~と思いながらも他にどうしようもない。「パンダホテルまでいくらだ?」「7ドルだ」「OK」と誘われるままに、すでに日本では生産が終わっているボロボロのトヨタカリーナに乗り込んだ。
運転席のジョニーと助手席のジミーという、なんだかアメリカ人みたいな名前のインド系ミャンマー人の二人が流暢な英語でいろいろ話しかけてくる。
「日本のどこから来たんだ?東京か?」
「豊田市だ。トヨタ自動車は豊田市という町にあるんだ。でも俺はトヨタの社員じゃない。豊田市に住んでいるだけだ。俺のファミリーはトヨタ自動車より古くからその町に住んでいるんだ」
海外へ行けば必ず聞かれる質問。トヨタ自動車は世界中誰でも知っているが、豊田市は誰も知らない。だから自己紹介するときは一気にここまで言うことにしている。
「明日はどこに行くんだ?」
「サガインに行く。小さいときにタイに売られ、成長してから売春させられ、エイズになって国境の橋の下に捨てられていたという姉妹に会いに行くんだ」
よくある話なのだろう。その話には特に顔色も変えず、
「じゃあ、サガインに行く国内便のチケットが必要だ。俺がいい店を知っているから今から買いに行こう」
今さらもうまな板の上の鯉である。『地球の歩き方』ぐらいは持っているから、サガイン(マンダレー空港) までの飛行機代がいくらなのかはわかるし、高く吹っかけてきたら買わないだけだ。なるようになるさと彼らに身を任せた。
彼らに連れて行かれた旅行社でチケットを手配してもらっている間、退屈だったのでオフィースのPCでインターネットを使わせてもらい、プロジェクト遊の「ボランティア殺害」のページの私が建てた学校の写真を見せびらかし、
「どうだ偉いだろう。ミャンマーの貧しい子供たちのためにこんなに貢献している俺からぼったくったら天罰が下るぞ!」と釘をさしてやった。
結局チケット代は100ドルだったが、『ヤンゴン航空』なら妥当な価格だろうと支払い、パンダホテルへと向かった。
・・・つづく
2008年12月15日
奇跡の旅 2
私は『ジャパンハート』というミャンマーで医療活動を行っているNGOの吉岡医師のブログをよく読んでいます。
http://japanheart.exblog.jp/
その中のあるお話が私の心に突き刺さりました。
「この国には悲しい現実がある。
私の団体の現地人スタッフと今日話をしていた。
彼女はいま、孤児たちを個人のお金で支援している。
国境の貧しい女の子たちは、タイにお金で買われて行く。
一人10000バーツ(300ドル)ほどだそうだ。
幼くして売られ、エイズになって捨てられる。
スタッフが会ったのは17歳と15歳の少女が幼い頃、タイに売られ、やがてエイズになり、ミャンマー側の橋のふもとに捨てられていたそうだ。
このようなことがないようにと、微力ながら、実力も省みず、新たに挑戦することにした。
このような売られてゆきそうな幼い少女たちを学校に通わせる。
長年引き取り、できる限り看護師をはじめとして、収入の糧となる職をつけるために学校に通わせてゆく。
家族にも支援を続けなければならないだろう。
そうしなければ、また次の子どもが売られてゆく。」
私はこのミャンマー人スタッフに会って話を聞き、できれば幼い頃タイに売られ、成長したのち売春させられ、エイズになって国境の橋の下に捨てられていた姉妹にも会ってみたいと思いました。
・・・つづく
(写真は本文とは関係ありません)

http://japanheart.exblog.jp/
その中のあるお話が私の心に突き刺さりました。
「この国には悲しい現実がある。
私の団体の現地人スタッフと今日話をしていた。
彼女はいま、孤児たちを個人のお金で支援している。
国境の貧しい女の子たちは、タイにお金で買われて行く。
一人10000バーツ(300ドル)ほどだそうだ。
幼くして売られ、エイズになって捨てられる。
スタッフが会ったのは17歳と15歳の少女が幼い頃、タイに売られ、やがてエイズになり、ミャンマー側の橋のふもとに捨てられていたそうだ。
このようなことがないようにと、微力ながら、実力も省みず、新たに挑戦することにした。
このような売られてゆきそうな幼い少女たちを学校に通わせる。
長年引き取り、できる限り看護師をはじめとして、収入の糧となる職をつけるために学校に通わせてゆく。
家族にも支援を続けなければならないだろう。
そうしなければ、また次の子どもが売られてゆく。」
私はこのミャンマー人スタッフに会って話を聞き、できれば幼い頃タイに売られ、成長したのち売春させられ、エイズになって国境の橋の下に捨てられていた姉妹にも会ってみたいと思いました。
・・・つづく
(写真は本文とは関係ありません)
