2008年12月29日
奇跡の旅 15
「まさか・・・そんな・・・なんで・・・」 全身から力が抜けた。 言葉もなかった。
急遽、村人たちが造った校舎

がっくり肩を落とし、ひどく落胆している私を気遣ってジョニーが言った。
「もうひとつお前が造った学校があるんだろう?そっちを探しに行こう!」
そっちもなくなっていたら・・・見たい気持ちと見たくない気持ちが入り混じりながらも、ジョニーに促されて探しに出かけた。
私を元気づけようとするかのように、ジョニーは通りかかる人たちに学校の場所を聞き続けた。
時間はもう9時を回っていた。
「もういい、帰ろう」と私がつぶやくように言い、「そうか・・お前がそう言うなら・・」とジョニーもあきらめかけたとき、「あっちの方に学校があるそうだ」と、バイクのお兄さんが村人から聞いてきた。
「どうする?行ってみるか?」
「もう9時過ぎだ。今からヤンゴンに帰ってもパンダホテルに着くのは深夜だぞ」
「俺は別にかまわないよ」
じゃあ、これで最後だと決めて、その学校へ向かって細い農道を2台のバイクで走っていった。
乾季のミャンマーの夜風は冷たく、Tシャツ一枚の私は風邪をひきそうだった。
「突然の通行許可で今しか時間がなかったから、取るものもとりあえず出発してしまったからなぁ・・」
「あった!間違いない!北マヤングウェイ村中学校だ!!」その校舎を見た瞬間に私は叫んだ。
建っていた。壊れてなかった。私は一目散に校舎へ駆けていった。

学校の隣に住む用務員さんをつれてジョニーも追いかけてきた。
「やったぞ!とうとう見つけた!俺たちは見つけたんだ!よし、記念写真を撮ろう!」
左から、バイクのお兄さん、ジョニー、中学校の用務員さん(暗くて写ってないが、後ろに校舎がある)

用務員さんの話によると、トタン屋根が一部めくれただけで被害はほとんどなかったという。
どういうことだ?北マヤングウェイ村中学校はほとんど被害がなかったのに、西タンビングウェイ村小学校は跡形もなく吹き飛んでしまったなんて・・。だいたい、いくらサイクロンの威力がすさまじかったとしても、鉄筋コンクリート造りの校舎があんなにきれいに全部吹き飛ぶものなのか?鉄骨の柱ぐらい残っているだろう・・
ジミーとコーンの待つタクシーまで帰るバイクの後ろで私は考え続けた。
答えはひとつ、手抜き工事だ。私が受け取った見積書には鉄骨何本だのコンクリートがどれだけだのと書いてあったが、実際にはそんな材料はまったく使われていなかったということだ。
クッソ~!あいつら~やりやがったな~!!
北マヤングウェイ村中学校は村のお坊さんや村人たちが自力で作ろうとして、資金不足のため途中で工事が止まっていたものを私の寄付金で完成させたものであり、鉄骨やレンガの壁など強度を保つための工事はすでになされていた。
援助する前の北マヤングウェイ村中学校の校舎 ('06年3月撮影)


しかし、西タンビングウェイ村小学校はすべて私の寄付による新築の校舎である。
そこで不正が行われた。高価な材料は使わず、外側だけそれらしく造って残った金を横領したのだろう。
NGOなどの組織によらない個人での援助行為は、管理がゆき届かずリスクが高いということか・・
私もかつてはあるNGOのメンバーだったが、一方で会社の経営者でもあるので、当時JC(青年会議所)という青年経済人の団体にも入会していたことが災いし、社会派の人間が多いNGOの中でたびたび批判にさらされ、NGOをやめてしまった経緯がある。
個人による海外援助は騙されやすいから慎重にやったつもりだったが・・・。
ヤンゴンへ帰る道中、いろんなことを考えた。
日曜日には日本へ帰る身では裁判に訴える事もできない。
このことをブログで書くべきか・・正直に書けば「それ見ろ!」と、ボランティア活動を嫌う連中が小躍りして喜ぶだろう。
いっそ黙っていようか・・それでは寄付金を横領した奴らの思う壺だ。
一度手元から離れた金がどう使われようが私には実害はない。つらい思いをするのは劣悪な環境で勉強させられる子供たちだ。国の未来を担う子供たちの教育を受ける権利を侵害してまでも目の前の現金がほしかったのか。敬虔な仏教の国民であっても『貧すれば鈍する』ということか・・。
パンダホテルに帰り着いたのは深夜の1時半を過ぎていた。
バイクで走り回りTシャツ一枚で夜風にあたったため風邪をひいた。
明日はタチレイへ行くために8時にトゥザさんがホテルに迎えに来る。
疲れと風邪でふらふらとベッドにもぐりこんだ・・・
・・・つづく
★アンラッキー: 建設費用全額を寄付した西タンビングウェイ村小学校はなくなった
☆ラッキー : 建設費用の一部を寄付した北マヤングウェイ村中学校は無事だった
急遽、村人たちが造った校舎

がっくり肩を落とし、ひどく落胆している私を気遣ってジョニーが言った。
「もうひとつお前が造った学校があるんだろう?そっちを探しに行こう!」
そっちもなくなっていたら・・・見たい気持ちと見たくない気持ちが入り混じりながらも、ジョニーに促されて探しに出かけた。
私を元気づけようとするかのように、ジョニーは通りかかる人たちに学校の場所を聞き続けた。
時間はもう9時を回っていた。
「もういい、帰ろう」と私がつぶやくように言い、「そうか・・お前がそう言うなら・・」とジョニーもあきらめかけたとき、「あっちの方に学校があるそうだ」と、バイクのお兄さんが村人から聞いてきた。
「どうする?行ってみるか?」
「もう9時過ぎだ。今からヤンゴンに帰ってもパンダホテルに着くのは深夜だぞ」
「俺は別にかまわないよ」
じゃあ、これで最後だと決めて、その学校へ向かって細い農道を2台のバイクで走っていった。
乾季のミャンマーの夜風は冷たく、Tシャツ一枚の私は風邪をひきそうだった。
「突然の通行許可で今しか時間がなかったから、取るものもとりあえず出発してしまったからなぁ・・」
「あった!間違いない!北マヤングウェイ村中学校だ!!」その校舎を見た瞬間に私は叫んだ。
建っていた。壊れてなかった。私は一目散に校舎へ駆けていった。

学校の隣に住む用務員さんをつれてジョニーも追いかけてきた。
「やったぞ!とうとう見つけた!俺たちは見つけたんだ!よし、記念写真を撮ろう!」
左から、バイクのお兄さん、ジョニー、中学校の用務員さん(暗くて写ってないが、後ろに校舎がある)

用務員さんの話によると、トタン屋根が一部めくれただけで被害はほとんどなかったという。
どういうことだ?北マヤングウェイ村中学校はほとんど被害がなかったのに、西タンビングウェイ村小学校は跡形もなく吹き飛んでしまったなんて・・。だいたい、いくらサイクロンの威力がすさまじかったとしても、鉄筋コンクリート造りの校舎があんなにきれいに全部吹き飛ぶものなのか?鉄骨の柱ぐらい残っているだろう・・
ジミーとコーンの待つタクシーまで帰るバイクの後ろで私は考え続けた。
答えはひとつ、手抜き工事だ。私が受け取った見積書には鉄骨何本だのコンクリートがどれだけだのと書いてあったが、実際にはそんな材料はまったく使われていなかったということだ。
クッソ~!あいつら~やりやがったな~!!
北マヤングウェイ村中学校は村のお坊さんや村人たちが自力で作ろうとして、資金不足のため途中で工事が止まっていたものを私の寄付金で完成させたものであり、鉄骨やレンガの壁など強度を保つための工事はすでになされていた。
援助する前の北マヤングウェイ村中学校の校舎 ('06年3月撮影)


しかし、西タンビングウェイ村小学校はすべて私の寄付による新築の校舎である。
そこで不正が行われた。高価な材料は使わず、外側だけそれらしく造って残った金を横領したのだろう。
NGOなどの組織によらない個人での援助行為は、管理がゆき届かずリスクが高いということか・・
私もかつてはあるNGOのメンバーだったが、一方で会社の経営者でもあるので、当時JC(青年会議所)という青年経済人の団体にも入会していたことが災いし、社会派の人間が多いNGOの中でたびたび批判にさらされ、NGOをやめてしまった経緯がある。
個人による海外援助は騙されやすいから慎重にやったつもりだったが・・・。
ヤンゴンへ帰る道中、いろんなことを考えた。
日曜日には日本へ帰る身では裁判に訴える事もできない。
このことをブログで書くべきか・・正直に書けば「それ見ろ!」と、ボランティア活動を嫌う連中が小躍りして喜ぶだろう。
いっそ黙っていようか・・それでは寄付金を横領した奴らの思う壺だ。
一度手元から離れた金がどう使われようが私には実害はない。つらい思いをするのは劣悪な環境で勉強させられる子供たちだ。国の未来を担う子供たちの教育を受ける権利を侵害してまでも目の前の現金がほしかったのか。敬虔な仏教の国民であっても『貧すれば鈍する』ということか・・。
パンダホテルに帰り着いたのは深夜の1時半を過ぎていた。
バイクで走り回りTシャツ一枚で夜風にあたったため風邪をひいた。
明日はタチレイへ行くために8時にトゥザさんがホテルに迎えに来る。
疲れと風邪でふらふらとベッドにもぐりこんだ・・・
・・・つづく
★アンラッキー: 建設費用全額を寄付した西タンビングウェイ村小学校はなくなった
☆ラッキー : 建設費用の一部を寄付した北マヤングウェイ村中学校は無事だった
Posted by しょうのみ at 00:59
│旅行
この記事へのコメント
感動が伝わってきそうです!
皆さんが手を取り合って喜ばれたようすが見えるようです!
素晴らしいことをされたと思いました。
誰にでもできることではありません。
中学だけでも残っててよかったです(^O^)/
皆さんが手を取り合って喜ばれたようすが見えるようです!
素晴らしいことをされたと思いました。
誰にでもできることではありません。
中学だけでも残っててよかったです(^O^)/
Posted by ann at 2008年12月29日 17:44
いつもコメントをしていただき、ありがとうございます。
お友達を亡くされて、お気を落とされておられるときなのに・・。
お友達を亡くされて、お気を落とされておられるときなのに・・。
Posted by しょうのみ
at 2008年12月29日 19:14
