2012年03月15日
ストリップ・ストーリー 4
いつも開店と同時にやってくるお爺さんがいた。
「お爺ちゃんおはよう。どうぞごゆっくりネ」と踊り子さんから声をかけられ、しわだらけの顔が笑った。
息子のお嫁さんに持たせてもらった弁当を食べながら、日なが一日ストリップを楽しんで日が暮れると帰っていくご隠居さん。
店によっても違うと思うが、我々がやっていた時の舞台のワンクール(すべての出演が終わり休憩に入るまで)は2時間30分だった。
しかし、当時はストリッパーが自分で持ち込み照明係に渡すレコードをかけて舞台のBGMとしていたため、人によって出演時間にばらつきがあり2時間半にきっちりおさまらない。長すぎる分には曲をカットすればいいが、短すぎて時間が余ってしまう場合に調整役をするのがお笑い芸人だ。
「お前たちのつまんねぇ漫才を観に来たんじゃねぇや!ひっこめ~!!」と心無い客に野次られながら必死に舞台を務める駆け出しの芸人たち。
あのビートたけし氏や萩本欽一氏もストリップ劇場で糊口を凌ぎながら世に出ていった。
また逆に人気が落ちた芸人が戻って来ることもある。
「あっ!この人、テレビで観たことがある」という、かつて人気を博した芸人が落ち目になって仕事がなくなり、かつての栄光が忘れられず酒に溺れ、食いつめて転がり込んでくるのもストリップ劇場だ。
人気が落ちたとはいえ、酒さえ飲まなければまだまだいい芸を見せる力がある人なのに、もう心が折れてしまっていて飲まずにはいられない。
我々スタッフも彼に酒を飲ませないように楽屋から酒類を撤去するのだが、内緒で買ってきて我々に隠れて飲んでしまう。
飲んでしまったらもうダメだ。
舞台にペタンと座りこんで意味不明なことをブツブツつぶやくだけで、まったく芸にならない。
不法滞在のために人目を恐れてなかなか外へ出られないフィリピン人ストリッパーを、「劇場にこもってばかりいては気が滅入ってしまう。カップルのように寄り添っていれば大丈夫だからちょっと散歩に出かけよう」と誘い劇場を出て歩きだしたら、入れ違いにたくさんの男性たちが劇場に入って来た。
「おお!団体客だ。今日は大入りだぁ!」と振り返ったのがいけなかった。その中の一人の男が我々を見つけ駆け寄ってきた。
彼は私には目もくれず、「あなたフィリピン人ですね?ちょっとパスポートを見せてください」と、彼女を劇場に連れ戻していった。
大宮署の摘発だったのだ。
あの時振り返らずに角を曲がってしまえばよかった。角まであと数歩だったのに・・
社長と、その時舞台に出ていたストリッパー、じゃぱゆきさんたち全員、そして、その時照明室で働いていたアルバイトの若者が逮捕された。
「彼はただのアルバイトです。私が上司です。責任者は私ですから」と、いくら刑事に訴えても無駄だった。
現行犯逮捕の原則から、踏み込んだ時点で照明室にいた者が『公然わいせつほう助罪』で逮捕される。
前途ある若者が2週間拘留され、一生消えない「前科」を背負ってしまった。
刑事たちがやって来るのがあと1時間早かったら、私がそうなっていた。
我々は興行が入れ替わるたびに優待券(タダ券)を大宮署に持って行き、「若いお巡りさんにお渡しください。なにとぞよろしくお願いします」と深々と頭を下げる。署員は受け取りはしないが拒否もしないので、机の上にそっと優待券を置いてくる。なるべく目こぼしをしてもらうための配慮だ。
その気配りのおかげで、「市民からの苦情が多いんでねぇ。そろそろ一度動かんわけにもいかんからねぇ」と、近いうちに摘発があるかもしれないという情報は伝わってきていたが、「今から行くぞ」とは教えてもらえなかった。
「いやらしい」、「街の環境に悪い」、「あんなとこ早くなくなればいいのに」・・
“善良”な市民が苦情を訴え警察を動かしたのだ。
一流お笑い芸人を目指す若者を飢え死にしないように食わせ、貧しい家族に仕送りするために来たくもない日本へやって来るフィリピンの娘たちに収入の道を与えてきたストリップ劇場がご希望どおり消滅して、あなた方が望む理想の社会が到来しましたか?
優しさや寛大さを失った社会は、より直接的で、より刺激の強い粗悪なものを貪欲に求めていく。
ストリップ劇場は無くなったが、大宮の風俗店街は健在だった。

「お爺ちゃんおはよう。どうぞごゆっくりネ」と踊り子さんから声をかけられ、しわだらけの顔が笑った。
息子のお嫁さんに持たせてもらった弁当を食べながら、日なが一日ストリップを楽しんで日が暮れると帰っていくご隠居さん。
店によっても違うと思うが、我々がやっていた時の舞台のワンクール(すべての出演が終わり休憩に入るまで)は2時間30分だった。
しかし、当時はストリッパーが自分で持ち込み照明係に渡すレコードをかけて舞台のBGMとしていたため、人によって出演時間にばらつきがあり2時間半にきっちりおさまらない。長すぎる分には曲をカットすればいいが、短すぎて時間が余ってしまう場合に調整役をするのがお笑い芸人だ。
「お前たちのつまんねぇ漫才を観に来たんじゃねぇや!ひっこめ~!!」と心無い客に野次られながら必死に舞台を務める駆け出しの芸人たち。
あのビートたけし氏や萩本欽一氏もストリップ劇場で糊口を凌ぎながら世に出ていった。
また逆に人気が落ちた芸人が戻って来ることもある。
「あっ!この人、テレビで観たことがある」という、かつて人気を博した芸人が落ち目になって仕事がなくなり、かつての栄光が忘れられず酒に溺れ、食いつめて転がり込んでくるのもストリップ劇場だ。
人気が落ちたとはいえ、酒さえ飲まなければまだまだいい芸を見せる力がある人なのに、もう心が折れてしまっていて飲まずにはいられない。
我々スタッフも彼に酒を飲ませないように楽屋から酒類を撤去するのだが、内緒で買ってきて我々に隠れて飲んでしまう。
飲んでしまったらもうダメだ。
舞台にペタンと座りこんで意味不明なことをブツブツつぶやくだけで、まったく芸にならない。
不法滞在のために人目を恐れてなかなか外へ出られないフィリピン人ストリッパーを、「劇場にこもってばかりいては気が滅入ってしまう。カップルのように寄り添っていれば大丈夫だからちょっと散歩に出かけよう」と誘い劇場を出て歩きだしたら、入れ違いにたくさんの男性たちが劇場に入って来た。
「おお!団体客だ。今日は大入りだぁ!」と振り返ったのがいけなかった。その中の一人の男が我々を見つけ駆け寄ってきた。
彼は私には目もくれず、「あなたフィリピン人ですね?ちょっとパスポートを見せてください」と、彼女を劇場に連れ戻していった。
大宮署の摘発だったのだ。
あの時振り返らずに角を曲がってしまえばよかった。角まであと数歩だったのに・・
社長と、その時舞台に出ていたストリッパー、じゃぱゆきさんたち全員、そして、その時照明室で働いていたアルバイトの若者が逮捕された。
「彼はただのアルバイトです。私が上司です。責任者は私ですから」と、いくら刑事に訴えても無駄だった。
現行犯逮捕の原則から、踏み込んだ時点で照明室にいた者が『公然わいせつほう助罪』で逮捕される。
前途ある若者が2週間拘留され、一生消えない「前科」を背負ってしまった。
刑事たちがやって来るのがあと1時間早かったら、私がそうなっていた。
我々は興行が入れ替わるたびに優待券(タダ券)を大宮署に持って行き、「若いお巡りさんにお渡しください。なにとぞよろしくお願いします」と深々と頭を下げる。署員は受け取りはしないが拒否もしないので、机の上にそっと優待券を置いてくる。なるべく目こぼしをしてもらうための配慮だ。
その気配りのおかげで、「市民からの苦情が多いんでねぇ。そろそろ一度動かんわけにもいかんからねぇ」と、近いうちに摘発があるかもしれないという情報は伝わってきていたが、「今から行くぞ」とは教えてもらえなかった。
「いやらしい」、「街の環境に悪い」、「あんなとこ早くなくなればいいのに」・・
“善良”な市民が苦情を訴え警察を動かしたのだ。
一流お笑い芸人を目指す若者を飢え死にしないように食わせ、貧しい家族に仕送りするために来たくもない日本へやって来るフィリピンの娘たちに収入の道を与えてきたストリップ劇場がご希望どおり消滅して、あなた方が望む理想の社会が到来しましたか?
優しさや寛大さを失った社会は、より直接的で、より刺激の強い粗悪なものを貪欲に求めていく。
ストリップ劇場は無くなったが、大宮の風俗店街は健在だった。

Posted by しょうのみ at 13:38
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