2010年12月22日

サワッディ~かっぷ 4

ミャンマー旅行記は書けば書くほどランキングが下がる (ノ_・。)
今日は45位のサツミちゃんと47位のながちゃんに挟まれて3人仲良く並んでいます。
やっぱりアクセス数を稼ぐには「困ったちゃん」のようなゴシップネタか食いもんネタですかね・・

さて、TIAタイ語教室「サワディ」も今年最後ということで、今日は食べ物を持ち寄ってのパーティーとなりました。

【カレーピラフ】



【タンドリーチキン】



【ジャガイモの煮っころがし】



【バナナのココナッツミルク煮】



【タイのファンタ・いちご味】



この着色料いっぱいの赤がいかにもタイ!



あと、名前がわからんがいろいろ出ました。












などなど・・

私からはもちろんミャンマーのお土産。
【ヒスイの象のストラップ】



ミャンマーのお土産はいつも宝石細工なので、「ずいぶん高価なものを」といつも皆さんすごく驚かれるのですが、これ18個で8ドルですから。



頑張って値切ればもっと下がったかもしれないけど、数十円のことでグダグダ言い合うのが面倒くさくて・・  

Posted by しょうのみ at 14:22日記

2010年12月21日

ミャンマー家庭の常備薬

ドラゴンズが日本一を逃した瞬間、ミャンマーの学校の子供たちへの土産はキットカットだと決めたとおり、バンコクの空港の免税店で買い込んだお徳用袋。
下の箱は賞味期限が近いから半額にすると店員に言われて買った1箱12個入り。






学校の子供たち450人分のチョコレートを両手に提げてタイのバンコクからミャンマーのヤンゴンまで運ぶのは本当に大変でした。
翌日から腕が真横にも上げられないほど左肩が痛くなり、服を脱ぐのにも難儀するほどでした。
特に困ったのはトイレ。ミャンマーのトイレは右手でホースから水を流し左手でお尻を洗う手動ウォシュレット方式。



ホテルやレストラン以外ではホースもなく手桶や空き缶で水を汲み、お尻の後ろ側からチョロチョロ流しながら洗うトイレも多い。
ところが肩が痛くて左手がお尻まで届かない。
仕方なくいつもティッシュを持ち歩き、日本式に右手に紙を持ってお尻を拭いていましたが、『郷に入れば郷に従え』主義の私はミャンマー方式ができない自分が情けなくて・・

そこで、ずっと行動を共にしてもらっていたガイドさんが町の薬屋さんで買ってくれたのがこれ。



肩こりなどで患部に塗る、いわゆる外用鎮痛消炎薬。
日本ではシップや液体のものが主流ですが、これは油なので数滴手に取って患部に塗ると液体よりもよく伸びるため、ボトルもこんなに小さく携帯に便利。



メンソールの臭いがかなり強いが、なかなかよく効きました。

私も冬になると膝の関節が痛むので、お徳用の大瓶も一緒に買ってきました。
右のレギュラーサイズは10ml入り1,100チャット(約110円)、左のお徳用は56ml入りで4,500チャット(約450円)。



ちなみにネットで調べたら値段が10倍近くしておりました。  

Posted by しょうのみ at 22:10旅行

2010年12月20日

謎の新首都、ネピドーを行く

マグエからヤンゴンに戻る途中、ヤンゴンから遷都した新首都ネピドーを通った。
外国人は立ち入り禁止なのだが、高速道路を使わないとヤンゴンまで帰るのに時間がかかるので、高速道路の入り口になるネピドーへ敢えて入った。

まだ建設途中のネピドーには、あちらこちらで町や道路の建設に従事する人たちがいる。



もちろん写真撮影は禁止だ。
しかし、あの謎の新首都、ネピドーに来ているという緊張と興奮でどうしても撮りたい。
周りをきょろきょろ見回して軍人や警官の姿が見えない隙にカメラを持ちあげ、高速連写で撮りまくり、サッと膝もとへ隠す。
ピントも何もあったものではないが、出発前に買い替えた新型カメラはそんな状況でもちゃんと撮ってくれていた。









軍人や警官の姿が見えないからといって安心はできない。一般市民にも不審者や政府を批判する者を通報する義務があるのだから、いつ誰が報酬目当てに密告するかわからない。
捕まったらそれこそ一巻の終わりだ。
運よく国外退去で済めばいいが、刑務所行きになれば日本へ帰れない。
ガイドさんたちも責任を問われ、所属する旅行会社も営業停止になる。
それでも黙って撮らせてくれたのには、ただただ感謝するしかない。

いよいよ町の中心部に入ってきた。



政府の役人たちの宿舎。









政府機関の建物。



これを撮った時点で「もういいでしょう?」というガイドさんの怯えた声に、「はい、ありがとう」と素直にカメラをケースにしまった。


大都市ヤンゴンから片田舎のネピドーへ首都機能を移転させた理由は、サイクロンの直撃を受けないためとかアメリカとの戦争に備えて、すでに巨大な地下要塞も作られているとかさまざまな情報が伝えられているが、その中の一つに占い師の進言があったとまことしやかにささやかれていて、多くのミャンマー人も占い師の関与を信じて疑わない。
実際ミャンマー人の占い好きはかなりなもので、会社をいつ拡大するべきか、ある人物を雇うべきかなどの経営上の悩みから、新しい商売を始めたいのだが、どんな商売がいいだろうという「丸投げ式」の相談もあるという。
(瀬川正仁著「ビルマとミャンマーのあいだ」より抜粋)


なんとかバレずに高速道路入り口にたどり着き、6回目のミャンマーで初めて経験する土砂降りの雨の中を一路ヤンゴンへ向かった。  

Posted by しょうのみ at 17:18旅行

2010年12月19日

土産話 3

昨日の記事「土産話 2」に誤りがありました。
寺子屋の先生の給料は1ヶ月2,000チャット(約200円)ではなく、20,000チャット(約2,000円)です。
2,000チャットでは少なすぎる。タクシーに1、2回乗ったら終わってしまう。
公務員の平均的な給料が40,000チャットですから、その半分です。

も~ぉ、誰も指摘してくんないんだも~ん・・

さて、今回は岡崎城南RC(ロータリークラブ)が寄付した図書館をご紹介します。
岡崎城南RCはミャンマーに5つも図書館を寄付しており、今回はその一つ、マグエ第1高校付属の図書館を訪問しにピイからマグエへ向かいました。






途中で給油



朝8時にピイを出発し、砂埃が舞うガタガタのひどい悪路を走り続けること約7時間、ようやくマグエに到着した。
ところがマグエ第1高校へ電話すると訪問はできないと断られてしまった。
ミャンマーへ出発する前に私は岡崎城南RCの例会に出席し、マグエの図書館を見学させてもらうことを伝えていた。
しかし、岡崎城南RCがどうしてマグエ第1高校に図書館を寄付したのか、そのいきさつは現地で聞けばいいと思い例会では聞いていなかった。
実は岡崎城南RCにはミャンマー人の会員がおられ、マグエ第1高校はそのミャンマー人会員さんの出身校だそうだ。
ところが私が出席した日の岡崎城南RCの例会をそのミャンマー人会員さんが欠席していたため、マグエ第1高校から彼に「平野という日本人を知っているか?」と問い合わせの国際電話があった時、彼が「知らない」と答えてしまったものだから大変!「お前は何者だ!?」というわけで、私は不審者として訪問を拒否されてしまった。
しかし、一緒に行動しているガイドのお姉さんが「平野さんもロータリークラブの会員だ。エーヤワディに自分で学校を作っている立派な人だ。絶対怪しい人ではない」と一生懸命交渉してくれたおかげで、外の食堂で高校の先生とお会いできることになった。

左から校長先生、私、教頭先生



「事情はわかったが、ミャンマーでは国の施設(ミャンマーでは学校はすべて国立)へ外国人が許可なく立ち入ることはできない。代わりに私が写真を撮ってきてあげるからカメラを貸しなさい」というわけで先生に撮ってきてもらったマグエ第1高校付属図書館。
「きぼうライブラリー」と入口に書いてある。









やはり岡崎城南RCから寄付された給水塔。



浄水設備



校長先生らと会い、お話を聞いたその食堂のご家族にマグエ第1高校の先生がおられるということなので、夜もう一度その食堂へ行き、その先生(向かって私の右側の女性)ともお話しした。



「せっかく遠い国からいらっしゃったお客様なのに、校長たちの失礼な態度はすみませんでした」
「管理職はどこでも保身的なものですよ」
ほとんど衣ばっかりのコーンの揚げ物をつまみながら先生と談笑し、マグエの夜は過ぎていった。


  

Posted by しょうのみ at 13:54旅行

2010年12月18日

土産話 2

今回のミャンマー旅行では毎年恒例になった私が寄付したエーヤワディ管区マウビン郡の学校訪問と、日本のロータリークラブが寄付した学校や図書館などの教育施設の見学もしてきました。

こちらはバゴー管区ピイ市にあるソケヤ寺が運営する寺子屋。



バーテンダ・トゥーケイナ・リンガラ師(写真中央)というお坊さんが学校に行けない貧しい家の子供たちを集めて木の下で読み書きを教え始め、ご自身は一日2食しか食べず、毎朝の托鉢で集まった供物をコツコツと貯めては少しずつ教室を立てていったそうです。






やがて、そんなバーテンダ師の努力に心を動かされた市民からの寄付で校舎が作られ始めました。



資金不足のため建設途中の状態で勉強する子供たち。



そして約18年後、日本ミャンマー友好協会が仲立ちとなり、京都紫竹ロータリークラブから新校舎建設のために1万ドルが寄付されました。












新校舎と同時に寄付金で作られた井戸。






先生はピイ市内から一般募集した高卒以上の独身女性にお願いしているとのこと。
給料は1ヶ月2000チャット(約200円)と少ないので、皆さん学校へ行く前に早朝マーケットで野菜などを売り生活費の足しにしているそうです。






こうしたピイ市民と日本のロータリークラブの協力により、現在生徒数410名、教師13名の大きな寺子屋になり、年2、3回文部省の人間が来て授業内容が正規の学校と同じであることを確認し、成績優秀で進学を希望する生徒は正規の中学校や高校へも編入、進学できるとのことでした。
正規の学校へ行った子供たちの学費もまた、このお坊さんのもとに集まる寄付金で賄われているそうです。  

Posted by しょうのみ at 14:29旅行