2012年03月19日

今日の困ったちゃん 130

いつも牛丼弁当の容器をポイ捨てしていく通りすがりのおっさん。
住人ではないので、なかなか捕まえられない。



先日のロータリークラブの例会に豊田署の署長さんが講師としてお越しになり、防犯についていろいろお話されていった。
その中で、「防犯の目的での監視カメラの使用はプライバシーの侵害や肖像権には問われません」と教えていただいた。

そっか。
んじゃあ監視カメラに写っていたおっさんの顔を、自分が捨てたゴミに貼っておいてやろう。


  

Posted by しょうのみ at 11:55迷惑な人

2012年03月17日

ゴミの夢は夜ひらく

一昨日の木曜日は『プラスチック容器ゴミ』の日でした。

「あれ?灯油のホースが入ってるじゃないか。これは『燃やすゴミ』だな」と放置していく清掃局員。



昨日の金曜日は『燃やすゴミ』の日でした。

「あれ?これは袋も中身も『プラゴミ』だな」と放置していく清掃局員。



♪ どうすりゃいいのさ、この私・・


  

Posted by しょうのみ at 14:04仕事

2012年03月16日

これも大家の仕事 29

「ドアノブの調子が悪いから修理お願いします」という住人さんからの依頼。
景気が良かった昔はすぐに業者を呼んでいたが、不景気な今は自分でできることは自分でやります。




業者さんがやっているところを見ながら勉強して、今やドアノブから蛇口のパッキンの交換までできる器用な大家になりました。



『便利屋』の看板を出そうかな?  

Posted by しょうのみ at 16:11仕事

2012年03月15日

ストリップ・ストーリー 4

いつも開店と同時にやってくるお爺さんがいた。
「お爺ちゃんおはよう。どうぞごゆっくりネ」と踊り子さんから声をかけられ、しわだらけの顔が笑った。
息子のお嫁さんに持たせてもらった弁当を食べながら、日なが一日ストリップを楽しんで日が暮れると帰っていくご隠居さん。


店によっても違うと思うが、我々がやっていた時の舞台のワンクール(すべての出演が終わり休憩に入るまで)は2時間30分だった。
しかし、当時はストリッパーが自分で持ち込み照明係に渡すレコードをかけて舞台のBGMとしていたため、人によって出演時間にばらつきがあり2時間半にきっちりおさまらない。長すぎる分には曲をカットすればいいが、短すぎて時間が余ってしまう場合に調整役をするのがお笑い芸人だ。
「お前たちのつまんねぇ漫才を観に来たんじゃねぇや!ひっこめ~!!」と心無い客に野次られながら必死に舞台を務める駆け出しの芸人たち。
あのビートたけし氏や萩本欽一氏もストリップ劇場で糊口を凌ぎながら世に出ていった。
また逆に人気が落ちた芸人が戻って来ることもある。
「あっ!この人、テレビで観たことがある」という、かつて人気を博した芸人が落ち目になって仕事がなくなり、かつての栄光が忘れられず酒に溺れ、食いつめて転がり込んでくるのもストリップ劇場だ。
人気が落ちたとはいえ、酒さえ飲まなければまだまだいい芸を見せる力がある人なのに、もう心が折れてしまっていて飲まずにはいられない。
我々スタッフも彼に酒を飲ませないように楽屋から酒類を撤去するのだが、内緒で買ってきて我々に隠れて飲んでしまう。
飲んでしまったらもうダメだ。
舞台にペタンと座りこんで意味不明なことをブツブツつぶやくだけで、まったく芸にならない。


不法滞在のために人目を恐れてなかなか外へ出られないフィリピン人ストリッパーを、「劇場にこもってばかりいては気が滅入ってしまう。カップルのように寄り添っていれば大丈夫だからちょっと散歩に出かけよう」と誘い劇場を出て歩きだしたら、入れ違いにたくさんの男性たちが劇場に入って来た。
「おお!団体客だ。今日は大入りだぁ!」と振り返ったのがいけなかった。その中の一人の男が我々を見つけ駆け寄ってきた。
彼は私には目もくれず、「あなたフィリピン人ですね?ちょっとパスポートを見せてください」と、彼女を劇場に連れ戻していった。
大宮署の摘発だったのだ。
あの時振り返らずに角を曲がってしまえばよかった。角まであと数歩だったのに・・

社長と、その時舞台に出ていたストリッパー、じゃぱゆきさんたち全員、そして、その時照明室で働いていたアルバイトの若者が逮捕された。
「彼はただのアルバイトです。私が上司です。責任者は私ですから」と、いくら刑事に訴えても無駄だった。
現行犯逮捕の原則から、踏み込んだ時点で照明室にいた者が『公然わいせつほう助罪』で逮捕される。
前途ある若者が2週間拘留され、一生消えない「前科」を背負ってしまった。
刑事たちがやって来るのがあと1時間早かったら、私がそうなっていた。

我々は興行が入れ替わるたびに優待券(タダ券)を大宮署に持って行き、「若いお巡りさんにお渡しください。なにとぞよろしくお願いします」と深々と頭を下げる。署員は受け取りはしないが拒否もしないので、机の上にそっと優待券を置いてくる。なるべく目こぼしをしてもらうための配慮だ。
その気配りのおかげで、「市民からの苦情が多いんでねぇ。そろそろ一度動かんわけにもいかんからねぇ」と、近いうちに摘発があるかもしれないという情報は伝わってきていたが、「今から行くぞ」とは教えてもらえなかった。

「いやらしい」、「街の環境に悪い」、「あんなとこ早くなくなればいいのに」・・
“善良”な市民が苦情を訴え警察を動かしたのだ。
一流お笑い芸人を目指す若者を飢え死にしないように食わせ、貧しい家族に仕送りするために来たくもない日本へやって来るフィリピンの娘たちに収入の道を与えてきたストリップ劇場がご希望どおり消滅して、あなた方が望む理想の社会が到来しましたか?

優しさや寛大さを失った社会は、より直接的で、より刺激の強い粗悪なものを貪欲に求めていく。
ストリップ劇場は無くなったが、大宮の風俗店街は健在だった。


  


Posted by しょうのみ at 13:38日記

2012年03月14日

ストリップ・ストーリー 3

SHOW UP 大宮劇場(しょーあっぷおおみやげきじょう)
埼玉県さいたま市大宮区にあったストリップ劇場、客席数70席、2005年10月10日付けで閉館。
北関東では最もステージが広い劇場の一つであり、演出の内容も、通常のポラロイドダンスショーのみならず、ソロダンスショー、SMショー、レズショーなど多角的であった。
しかし、2004年末に経営者が変わってから、興行内容の幅が狭まり、場内の雰囲気も寂れ、観客の足も遠のき2005年8月20日を最後に興行が打ち切られた。閉館後、しばらくは2階の成人映画のみ営業していたがこれも廃業している。現在、建物は取り壊され跡地はコインパーキングとなっている。
(ウィキペディアより引用)

東京へ行ったついでに足を延ばして行ってみたが、確かにコインパーキングになっていた。



そうか・・なくなってしまったか・・
「ストリップ劇場は客に女の裸さえ見せていればいいんだ」という安易な経営では、お客に飽きられ寂れてしまうのは自明の理だ。

うちの社長はもともと小さな劇団をやっている役者で、観客を楽しませる舞台作りが何よりも好きな人だった。
ここで言う社長とは『ストリップ・ストーリー 1』で書いたボスのことではない。
ボスは普段あまり劇場には顔を出さない。
『公然わいせつ罪』で警察の摘発があった時に逮捕を免れるために、毎月決まったロイヤリティを自分に収めさせ劇場の経営をさせる、言わばボスの身代わりに逮捕されるための囮の社長だ。
舞台興行が好きだった社長はそれを承知で劇場の経営を引き受け、演劇つながりで私も誘われてスタッフになった。
「楽しい舞台を作れば客は来る」と、社長は次々と面白い企画を打っていった。

ヘラクレスのような衣装を着た怪力の男が小柄なストリッパーを軽々と持ち上げ振り回し、まるでサーカスのアクロバットのようなストリップ。

全身を黒く塗り、蛍光塗料で体に線や模様を描き、照明は完全に落として足元にブラックライトを置き、闇の中で蛍光塗料だけを浮かび上がらせ、コケティッシュな動きを観せるダンスチーム。

『猟奇!蛇女ショー!!』ではストリッパーが蛇と戯れるのだが、毎回暑くて眩しい舞台に引っ張り出されストリッパーに体を押しつけられるヘビ君が、お姉さんの臭いお股に頭を押しつけられ「もう勘弁してくれ~!」と客席に逃げ出してしまったからさあ大変!
「うわ~!」「ぎゃ~!」「ひえ~!!」と、お客さんたちは大パニック!
この演し物を一番楽しんだのは照明室からその様子を見降ろしていた私だっただろう。今こうして書いていても笑いがこみ上げてくる。

中でも一番秀でていた作品がこれだ!
舞台から客席に突き出した通称『でべそ』と呼ばれる回転式円形舞台で、二人の美しいストリッパーが愛し合うレズビアンショー。その後ろで一人の歌手がギターを弾きながら今は亡き村下孝蔵の『踊り子』を朗々と歌い上げる。
そのイル・ディーヴォにも劣らない美しい歌声とストリッパーたちが繰り広げる妖艶な世界に観客は静まり返り、ゴックンと生唾を飲み込む音が聞こえるようだった。
「いやあストリップ劇場に来てこんな格調高い舞台を観るとは思わなかったよ」と、たくさんのお客さんからお褒めの言葉を頂戴したが、マイク無しで歌い続けていたその歌手は喉を痛め扁桃腺が炎症を起こしていた。
それでも責任感の強かった彼は調子が悪いことを隠して舞台に上がり続け、ついにある時、次の舞台の準備のためにギターを持って楽屋へ行きかけ客席の入り口にさしかかったところで意識を失い、ドアから客席に倒れこんでしまった。お客も舞台で踊っていたストリッパーもびっくりして振り返った。
すぐに救急車が呼ばれたが、彼は「舞台が・・舞台が・・」と、うわごとを言い続けていたそうだ。
この時の舞台だけはやむを得ずアルバイトの大学生が見よう見まねで歌ったが、「舞台に穴は開けられない!なんとかお願いします!!」と医者に無理を言って点滴だけで退院させてもらい、次からまた彼は舞台に立ち、ついに千秋楽まで歌いきったと言う。

その後、彼は故郷の愛知に帰り、名古屋のアカペラグループのメンバーとして今でも元気に歌っており、「しょうのみ」というペンネームでブログも書いているらしい。σ(^◇^;)  


Posted by しょうのみ at 16:24日記