2008年12月28日

奇跡の旅 14

ヤンゴンを出発して約4時間、ようやくエーヤワディ管区モービン郡まで来た。日はもうとっぷりと暮れていた。
さて、ここからが問題だ。実は学校のある場所を誰も知らないのだ。もちろんジョニーたちが知るわけがない。私は学校を作る前と開校式のときと2回来ているが、他人任せだったから道などおぼえていない。ヤンゴンを出発する前に、私と一緒に開校式に行った校長先生の妹さんに電話して場所を聞いたが、電話で場所を説明するのは難しいし、通行許可が突然出たもんだから同行してもらうわけにもいかなかった。
そもそも途上国のいなかには〇〇町〇丁目〇番地などという正確な住所はない。誰々さんちの近所だとか川のほとりだとかお寺の前だとか、そんな感じだから現地で人に聞きながら探すしかない。
「目印になるようなものはおぼえてないか?」とジョニーに聞かれても、開校式からもう2年近くたっており、それこそ川のほとりだとしか答えられない。
とにかくここから先は道が細くてタクシーでは無理だからジミーとコーンはここに残し、バイクのお兄さんを雇い、後ろに乗ってジョニーと2台のバイクで行く事になった。

田舎の風景などどこも同じだし、学校の形も画一的でわかりにくい。
しかも電気もなく真っ暗な農村での学校探しだ。
奇跡の旅 14


ここだっけ・・・いやプレートが違う
奇跡の旅 14


「どうやら川の向こう側だそうだ」とジョニーが近所の人から聞いてきてくれたのでボートで川を渡ることになったのだが・・・
こんな夜中に学校を見るためだけにこんな田舎までやってきた物好きな日本人を一目見ようと集まって来た村のおっちゃんたちまでボートに乗り込んできて、一大ナイトクルージングになってしまった。
「おい日本人!一曲歌え!」「歌ってる場合か!!」
奇跡の旅 14


これでもない、あれも違うと走り回り、3つ4つ探した挙句たどり着いたある学校・・そこには入り口の右側に木と竹で作った校舎があった。
「違う違う。ウチの学校は鉄筋コンクリート造りだ。しかも校舎は入り口の正面だ。こんな横じゃない」
しかし、ジョニーが近所の人に話を聞いたところによると、サイクロンが来る前には入り口の正面に学校があった。それは外国人の援助で建てられた学校だったが、サイクロンで木っ端微塵に吹き飛ばされてしまったのだという。それでやむを得ず村人たちで木と竹の校舎をその横に造ったそうだ。確かに入り口の正面には長方形のコンクリートの土台が残っている。
「そ、そんなバカな!だってサイクロンの直後に平野さんの学校は無事ですよ。今は被災者たちの避難所になっていて、家をなくした人たちの役に立っていますよってミャンマーから連絡があったのに・・まさか・・そんな・・・」


・・・つづく


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Posted by しょうのみ at 01:39 │旅行
この記事へのコメント
えーそんなあ、

無くなってしまってる?

この先どうなるのか!
ハラハラ、ドキドキ!
Posted by ann at 2008年12月28日 10:30