2010年12月29日

援助の光と影 3

北マヤングウエイ村中学校は、もともと地元の学校関係者や僧侶たちが協力して作っていた学校だった。
【援助前の北マヤングウエイ村中学校】
援助の光と影 3


援助の光と影 3


援助の光と影 3


何年もかけて彼らの地道な努力でコツコツとやっとここまで作ってきた学校を、突然やってきた似合わない民族衣装を着た妙な日本人が一気に完成させてしまったのだった。
援助の光と影 3


援助の光と影 3


援助の光と影 3


昨年、中学校を訪問した時にこのお坊さんにお布施として100ドルを差し上げた。
みんな初めて見る100ドル札を囲んで、珍しそうに眺めていた。
「あの100ドルでこれを買いました」と得意げに見せるお坊さん。
援助の光と影 3


ゲーム機!?
なんでそんなものを?それは日本の子供たちがみんな持っているおもちゃじゃないか!
「おもちゃじゃない!子供たちの成長を記録するために必要だったんだ!」
(確かにデジカメ機能もビデオ機能もついているが・・)
そう言いながら学校の隅でこのクソ坊主がゲームをして遊んでいるところを私は見逃さなかった。
援助の光と影 3


「それよりも、ひとつお話があります。高校はこの村からとても遠い。片道3時間以上かかる。雨季は道がぬかるんで自転車も使えず、歩いていくのにも泥に足を取られて学校へ着いた時にはへとへとに疲れてしまい勉強に身が入らない。どうかここに高校を作ってください。お願いします」と、私の怒りをかわすかのようにヤツは気色の悪い笑顔で言うのだった。
やってしまった!!
あまりの経済力の違いに彼らは自分たちで努力することをやめ、すべてこの日本人に頼るようになってしまったのだ。
そして出してきた見積書は3万5千ドル。
にゃにお~!!
小学校を寄付した時の建設費用が1万5千ドルだったのに、なんだこの金額は!?
小学生がそこで勉強すれば小学校だし、高校生が学べば高校になるだけで、校舎そのものにそんなに違いはないはず。
援助が彼らの自立心を萎えさせ、依存心を芽生えさせ、欲望をかき立てさせ、詐欺を企てさせてしまった。
責任は私にある。
責任は重々感じているが、それでもその程度のはした金で戒律を破るなど僧侶としての修行が足らん!

高校生が通学に難儀しているのは事実だろう。助けてやりたいとは思うが、この欲に目が眩んだ大人たちがいる限り、もうここへは援助することはできない。

ヤツらの目を覚まさせ、昔のように子供たちのために頑張っていた、いい大人たちに戻すにはどうしたらいいのだろう・・?


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Posted by しょうのみ at 14:19 │旅行