2012年02月23日
先輩からの電話
「あの・・下沢(仮名)だけど・・おぼえてる?・・昔、同じ高校だった・・」
「下沢さん?・・ああ、下沢君?西高の先輩の下沢君?いやあ懐かしいなぁ、何十年ぶり!?元気ですか?」
「・・うん、まあ・・あの・・僕、今、目が悪くなっちゃって・・仕事がなくて・・僕でもできる仕事ないかなぁと思って電話したんだけど・・」
「ああ・・そうですか・・。うちも不景気でアパートもガラガラだし、仕事も家族でできる程度しかないんで・・」
私が高校に入学したのは1971年。前年の70年には大阪万博が開催され、「あれは日米安保条約の更新から国民の目をそらすための保守政権による策略だ!」と主張する過激派活動家の一人が万博会場のシンボル『太陽の塔』によじ登り、目の中に座り込んだため、その活動家が焼け死ぬのを防ぐために片目の照明が点けられなかったという事件が起きるなど、万博開催に象徴される高度経済成長が最高潮に達したお祭り気分と、『日米安保条約粉砕』や『ベトナム戦争反対』、『大学改革』などを叫ぶ過激派による反体制運動が混在する激動の年だった。
もっとも私は中3の受験生で、そんな難しい話はわからず、ラジオの深夜放送を聴きながら真面目に受験勉強に励んでいた・・わけでもなく、ビートルズの解散問題や欧米から送られてくる新曲情報を誰よりも早く入手して友達に自慢することに夢中になっていた。
高校の入学式のとき、校長先生が祝辞を述べている最中に「帰れ!」「ナンセンス!」と野次る先輩たちの姿には本当に驚いた。
15歳の私は、学校の先生と言えば何でも知っていて絶対に過ちを犯さない神様のような存在だと信じ込んでいて、叱られて叩かれても「先生に叩かれた」などとは恥ずかしくて親には絶対に言えなかった。
その先生に真っ向から議論をふっかけてやり込めてしまう先輩たちは本当にすごいと思い、かっこよく見えた。
その先輩たちがやっている同好会『社会科学研究会』に入り、その読書会で読まされたのがマルクスとエンゲルス共著の『共産党宣言』だった。
さっぱりチンプンカンプンのこんな難しい本を読破できる下沢先輩に憧れたものだった。・・・のに・・
あんたのそんな情けない声は聞きたくなかったぜ先輩。

もし今の私が当時の私に会うことができたなら、「その『共産党宣言』を読み終わったら、この本も読んでおけ」と、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を手渡しただろう。
「下沢さん?・・ああ、下沢君?西高の先輩の下沢君?いやあ懐かしいなぁ、何十年ぶり!?元気ですか?」
「・・うん、まあ・・あの・・僕、今、目が悪くなっちゃって・・仕事がなくて・・僕でもできる仕事ないかなぁと思って電話したんだけど・・」
「ああ・・そうですか・・。うちも不景気でアパートもガラガラだし、仕事も家族でできる程度しかないんで・・」
私が高校に入学したのは1971年。前年の70年には大阪万博が開催され、「あれは日米安保条約の更新から国民の目をそらすための保守政権による策略だ!」と主張する過激派活動家の一人が万博会場のシンボル『太陽の塔』によじ登り、目の中に座り込んだため、その活動家が焼け死ぬのを防ぐために片目の照明が点けられなかったという事件が起きるなど、万博開催に象徴される高度経済成長が最高潮に達したお祭り気分と、『日米安保条約粉砕』や『ベトナム戦争反対』、『大学改革』などを叫ぶ過激派による反体制運動が混在する激動の年だった。
もっとも私は中3の受験生で、そんな難しい話はわからず、ラジオの深夜放送を聴きながら真面目に受験勉強に励んでいた・・わけでもなく、ビートルズの解散問題や欧米から送られてくる新曲情報を誰よりも早く入手して友達に自慢することに夢中になっていた。
高校の入学式のとき、校長先生が祝辞を述べている最中に「帰れ!」「ナンセンス!」と野次る先輩たちの姿には本当に驚いた。
15歳の私は、学校の先生と言えば何でも知っていて絶対に過ちを犯さない神様のような存在だと信じ込んでいて、叱られて叩かれても「先生に叩かれた」などとは恥ずかしくて親には絶対に言えなかった。
その先生に真っ向から議論をふっかけてやり込めてしまう先輩たちは本当にすごいと思い、かっこよく見えた。
その先輩たちがやっている同好会『社会科学研究会』に入り、その読書会で読まされたのがマルクスとエンゲルス共著の『共産党宣言』だった。
さっぱりチンプンカンプンのこんな難しい本を読破できる下沢先輩に憧れたものだった。・・・のに・・
あんたのそんな情けない声は聞きたくなかったぜ先輩。

もし今の私が当時の私に会うことができたなら、「その『共産党宣言』を読み終わったら、この本も読んでおけ」と、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を手渡しただろう。