2011年12月25日

可愛い子には旅をさせろ

また今年も何にもないクリスマスイブ。
「別にクリスチャンじゃないから関係ないや」と強がりを言いながら、いつものパンチーズハウスで一人で飲んでいると、先日一緒にキノコ鍋を食べに設楽までツーリングをしたハーレーライダーの社長さんがべろんべろんに酔っ払って店へ入ってきた。
「息子が突然家を出て行っちゃったんだよ~」と私に抱きついて泣く。
別に喧嘩をしたわけでもなく、今まで真面目に自分の会社で働いていた19歳の息子さんが突然無断欠勤をした翌日、「家を出る」と言ってそのまま出ていったそうだ。

思い出せば私が家を出たのも19歳だった。
そして岡山の総社市で1年半、その後東京へ出て、途中冠婚葬祭などで一時的な帰郷は何度かあったものの正式に東京を引き払って豊田へ戻ってきたのは30歳になる年だった。
私が不在の間、「俺が全部面倒を見てやるから心配するな」と外メシを食ったことのないお坊ちゃま育ちの父の甘さにつけ込み、言葉巧みに「財産を譲る」という遺言書を書かせた元社員に、何年もかけて多額の借金を抱えさせ弁護士を雇い裁判で負かして二度と復活できないように一家離散に追い込んだ。
もうひとつ、こちらは親族間の骨肉の争いだから詳しくは書けないが、叔母(父の妹)が激しく主張していた相続問題も絶妙のタイミングと巧妙な心理作戦で、わずかな金銭で相続権を放棄させることに成功し、そのまま縁を切った。
どちらも家を出て世間の厳しさを学んでこなかったらできなかった荒業だった。
今は不景気で会社の業績も落ち込み、「ダメ社長」「能なし社長」となじられ毎日針のむしろだが、業績の落ち込みどころではすまされない、世間知らずの父の甘さが招いた会社の存亡にかかわる危機を二度までも未然に防いだ。

大都会での一人暮らしの寂しさから夜の女に騙され金を取られ、会社中の笑い物になり一人泣きながら西武新宿線の線路の上を歩いた。残念ながら終電が行った後だったため電車に轢かれて死ぬことはできなかったが。
そんな経験も何度もあった、あの10年がなかったら今の私はない。

「いいことじゃないか。『可愛い子には旅をさせろ』だ。親元でぬくぬく暮らしていたら、それこそろくなもんにはなりゃしない。『石の上にも三年』と言うから3年以内に戻って来るようだったら、それこそ息子の根性のなさを親として心配せにゃいかん。一皮むけて立派な後継ぎとなって戻ってくるまで、『お前なんかいなくたって全然平気だよ』って顔してパンチーズハウスの仲間たちと飲んでツーリングを楽しんでりゃいいのさ」と社長の背中を叩いてやったら、いつの間にか寝込んでしまっていた。


【ミャンマーの床屋さん】


  

Posted by しょうのみ at 16:11日記