身体がだるいが熱はない。咳も出ない。何とかタチレイには行けそうだ。
ミャンマー行きのチケットが取れるのかどうか直前までわからず、急な旅立ちだったから風邪薬など用意していなかった。っていうか、まさかこの暑い国で風邪をひくとは思わなかった。
ホテルのレストランでバイキング形式の朝食を食べているとボーイがやってきて電話だという。
誰だろう?トゥザさんか?何か不都合でもあったのか?と思いながらカウンターの電話に出ると、相手は例の「キャンセルしなさい!」と私に命令してきた旅行社に勤めるヤダヨさん(仮名)だった。
実は彼女は'06年3月に初めてミャンマーを訪れたときにボランティアでガイドをしてくれた日本語もできる人で、その後も学校を作るまで私がミャンマーへ来るたびにガイドをしてくれていた。
その後、彼女が旅行社に就職したので今回はビジネスとして私のガイドを頼んだわけだが、バンコク空港の閉鎖で私が来られないと思い「早くキャンセルしなさい!」と私に強硬に催促してきたのだった。
「昨夜エーヤワディに行ってきたんだって?どうだった?」
「小学校はなくなっていたよ」
「何言ってんの?あなたの学校はちゃんとあるよ!」
「へ!?」
「ったく、どこへ行っちゃったのよ!全然違う学校へ行っちゃったんでしょう」
「あっ・・・そう・・・。で、でも、今からタチレイへ行くし、戻ってくるのは土曜日だから、もう一度エーヤワディへは行けないよ」
「そうか、残念だね。じゃあ、戻ってきたらまた連絡して」
・・・というわけで、あの木っ端微塵に吹き飛んでしまった学校は西タンビングウェイ村小学校ではなかったらしい。しかし、私が寄付した学校ではなかったにせよ、誰かが寄付した学校が手抜き工事のせいでなくなってしまったことは事実だ。
私はこのシリーズで海外支援を呼びかけているわけではないし、もし支援をしたいとお考えの方がおられても、こういうことがあるのでくれぐれも慎重に計画を進めていただきたい。
8時にトゥザさんとジョニーが迎えに来た。もちろん二人はこのときが初対面である。
「昨夜行った小学校は俺が作った学校ではなかったらしいよ」
「そうか。それはよかったな」
ジョニーの運転するタクシーで空港へ向かいながら、昨夜の大冒険をトゥザさんに話して聞かせた。
空港へ向かう道路にある案内板
そして二度目の奇跡が起きた。
空港の国内線チェックインカウンターでトゥザさんがしばらく話しこんでいたが、がっかりした様子で私のほうへ戻ってきて、こう言った。
「タチレイ行きの便がキャンセルになりました」
「へ!?」
なんと乗客が少ないから欠航になったという。
ミャンマーの国内線航空会社は乗客が少なく採算が合わないと、さっさと欠航を決めてしまうものらしい。
国内線チェックインカウンター
・・・というわけで、帰国までのスケジュールが一瞬にして消えてしまった。
まったくなんということだ!
もし、バンコク空港の閉鎖でチケットをキャンセルしますか?と日本の旅行社から問い合わせがあったときに、あきらめてキャンセルしていたら・・
もし、ヤダヨさんからの「キャンセルしなさい!」との命令に従わず、ミャンマーでのスケジュールをキャンセルしなかったら・・
もし、ヤンゴンの空港でジョニーたちと出会わなかったら・・
もし、プロジェクト遊にミャンマーに建てた学校の写真を掲載していなかったら・・
もし、ジョニーたちにその写真を見せていなかったら・・
もし、サガインのジャパンハートの病院にエイズの姉妹が入院していたら・・
もし、翌日、私がすぐにサガインからヤンゴンに戻らなかったら・・
もし、パンダホテルの支配人とジョニーが知り合いじゃなかったら・・
もし、支配人が私がヤンゴンに戻っているとジョニーに言わなかったら・・
もし、タチレイ行きの国内便が欠航にならなかったら・・
これらのどれひとつが違っていても、今、こうはなっていない。
この瞬間、私は確信した。
何かが・・人々が「神」とか「運命」とか呼んでいる人知を超えた意志のようなものが、私を学校へ学校へと引っ張っていこうとしている。
ラッキーな事もアンラッキーな事も、すべての出来事が私の背中を押していく。
タチレイにいるエイズの姉妹に、もし私が会えたとしても何の役にも立てない。
ここは私は支援者として寄付金を渡して、トゥザさんたちジャパンハートにがんばってもらおう。
私はエーヤワディの子供たちに会いに行こう!
ジョニーの携帯に電話して呼び戻した。
「明日もう一度エーヤワディに行くぞ!もう一度通行許可を取ってくれ」
「そんな事もあろうかと思って、ちゃ~んとコピーはとってあるさ」
「さすがゴロツキガイド!抜け目はないな。でも通行許可証のような公文書をコピーなんかして大丈夫なのか?」
「まかせとけ!ノープロブレムだ!ハッハッハ~!!」
・・・つづく