橋本~!

しょうのみ

2014年03月11日 12:23

総社のスーパーを不本意な形で退職した後、もっと広い世界に出て見聞を広めなければダメだと東京に飛び出して行った。
ホームレスのように公園のベンチで寝ながら仕事と住まいを探してさまよった。
「運転手募集」と貼り紙がしてある不動産屋へ飛び込み、引越しのトラックの運転手の仕事を決め、ついでにアパートも紹介してもらった。
その会社で出会ったのが橋本だった。
毎日、汗を流して共に働き、夜は歓楽街を飲み歩いた。
終電に乗り遅れ、池袋の彼のアパートに泊めてもらったこともあった。
陽も入らない北側の寒々とした四畳半の部屋。
何もないその部屋の片隅に立てかけてあった一枚のレコード。ビートルズの『アビイ・ロード』だった。
しかし、部屋にはそのレコードをかけるステレオがなかった。
「そのうち金ができたらステレオを買おうと思ってる」と言いながら、レコードのジャケットを見つめていた。
飲み屋で彼が歌うカラオケはもっぱら演歌なのに、なんでビートルズのレコードなんだろう?と、ちょっと不思議だった。
今思い返せば、彼は『アビイ・ロード』に収められている曲など知らなかったんじゃないだろうか。
毎日毎日肉体労働に明け暮れ、その横を同世代の大学生が彼女と手を握って歩いて行く。
学歴も金も何もない自分には遠い世界の存在に見えたのかもしれない。
そんな惨めな心を慰めるために、彼らとの共通点を持ちたくてステレオもないのにビートルズのレコードを買ったんじゃないだろうか。

いつも「手に職、手に職」とつぶやき、いろんな仕事に就いたがどれも長続きせず、やがて夢破れ彼は故郷へ帰っていった。
数年後、故郷で連れ子のいる女性と結婚し、海岸近くのアパートでささやかに暮らしていると便りがあった。
便りに書かれていた住所は、「福島県双葉郡広野町」

大震災の直後、安否確認の掲示板などに彼の消息を尋ねる書き込みをしたが、いまだに連絡はない。
橋本~!

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